吾輩はチップムン君である。
吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合わせることがない。
職業は足立自動車学校の指導員だそうだ。
学校から帰ると終日書斎に入ったきりほとんど出てくることがない。
家のものは大変な勤勉家だと思っている。
当の本人も勤勉家であるかのごとく見せている。
しかし、実際はうちのものが言うような勤勉家ではない。
吾輩は時々てん君と共に忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、
彼はよく昼寝をしていることがある。
時々読みかけている本の上によだれを垂らしている。
ふと気付いてよだれを拭いた後で書物をひろげる、
二三ページ読むと眠くなる、よだれを本の上へ垂らす、
これが彼の毎夜繰り返す日課である。
吾輩は猫ながら時々考える事がある。
指導員というものは実に楽なものだ。
人間と生まれたら指導員となるに限る。
こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬことはないと。
それでも主人に言わせると指導員ほどつらいものはないそうで、
彼は友達が来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
吾輩は仕方がないから出来得る限り吾輩を買ってくれた主人の傍にいることをつとめた。
朝主人がトイレに入るときは必ず膝の上に乗る。
彼が出勤しようとするときは必ずおんぶをしてもらう。
これはあながち主人が好きという訳ではないが、別に構い手がなかったから、やむをえんのである。
そしておんぶによって主人の黒いポロシャツが毛だらけになってしまうこともまた、やむをえんのである。
その後いろいろ経験の上、朝は炊飯器の上、夜はこたつの上、天気の良い昼は縁側へ寝ることとした。
しかし一番心持ちの好いのは夜に入って主人の寝床へもぐり込んで一緒に寝ることである。
吾輩はいつでも彼のウデの中に己れを容れるべき余地を見出してどうにかこうにか割り込むのである。
そして今宵も主人の腕まくらで朝を迎えるのである。